最後のカメラ
いつものように近くの喫茶店に立ち寄って、パッケージを開けました。
何回となく下見をし、使い方のイメージをふくらませたカメラなのですが、封を切って手にすると、なんとなく新品の香りがするようで、うれしくなる一瞬です。隣の見知らぬオジサンが話しかけてくれました。
「望遠レンズのようですが、何ミリですか」
カメラ好きな方のようです。
「24ミリの広角から1000ミリまでのズームレンズなのです」
「手ぶれ防止は付いているのですか」
「もちろんです」
「高いのでしょうね」
「いえ。一眼レフではなく、コンパクトカメラですから」
と言って、Nikon P510を手渡そうとしたのですが、手を横に振って、遠慮されました。一年半前に買ったNikonのコンパクトカメラP300は200グラムと軽く、広角の24ミリから100ミリまでのズームレンズが付いていて旅行の友として重宝しました。レンズはF1.8と明るく、室内でも夜の街路でもフラッシュなしでも写りが良く、動きの速いスナップ写真を撮るのにはもってこいのカメラでした。これに16GBのメモリーカードを差し込んでおけば、1カ月の撮影旅行でもOKです。
もしかりに1眼レフのカメラに10倍のズームレンズを付けると重さは1550グラムぐらいになります。2週間もの旅行になると、その重さは次第に手首から体全体にまで及ぶ負担になっていきます。
写真の微妙な出来栄え、特に色調の変化、ボケ具合、深みとか奥行き感などを無視し、記録道具として見れば、このコンパクトカメラで十分な気になってきます。一度、机ぐらいの高さから落としてボディーにへこみを作っているのですが、働きに支障はありません。ボディーをたたけば樹脂製の軽い音がして長い愛着に応える丈夫さと格調には欠けるところがあるかもしれませんが、ひょっとしたら、これが私にとって最後のカメラになるかもしれないという予感がありました。
しかし、たまにサッカーを見に行って、サンフレの選手が走り回る姿とか、広島男子マラソンなどで白バイに先導されて走り来る選手達をみていると、400か600ミリぐらいの望遠レンズがあれば新しい写真が撮れるのではないか。自分の知らない写真の世界が開けるのではないかと思うこともありました。そんな時に目に付いたのが冒頭に上げましたNikon P510のカメラです。重量も550グラムと適当だし、ズームレンズは24ミリから1000ミリと至れり尽くせりです。値段も手頃だしと、これぞ最後のカメラと意気込んで買ったのでした。その取説を読んで気がついたのは、よくもまあNikonはカメラマン諸氏の要望をこの小さなコンパクトカメラにこんなにも多く盛り込んだものだという驚きでした。考えられるあらゆるカメラの機能が入っているようです。あとはカメラマンの腕次第ということです。私はこれまでカルティエ•ブレッソンのスナップ写真に憧れて写真を撮ってきました。この年になって、新境地へ入る可能性があるのだろうか。こんな思いを込めてP510を買ってみました。
ズームレンズがまだ発明されてない頃の古い話ですが、「写真は標準レンズで始まって標準レンズで終わる」と言われていました。誰でも標準レンズ付きのカメラを買って、写真を撮り始めます。それから好奇心につれられて広角レンズとか望遠レンズを買って新境地を開拓していこうとします。でも落ち着く所、自分が表現したいと思う世界観とはなんのことはない標準レンズで撮った写真であると。言い換えれば一番表現力のあるレンズを標準レンズに決めたということでしょうか。
概して言いますと、広角レンズは「臨場感」、「材質感」、「距離感」などを表現するのに向いています。望遠レンズは「抽象化」、「多様化」、「空虚化」などを表現するのに向いているのではと思っています。「芸術は虚と実のはざまにある」と言われたりしますが、ズームレンズはまさに虚(望遠)と実(広角)の間を行き来しながらある表現を模索しているのではないかと連想することがあります。
約50年の間に手に入れたカメラを列記すると次の様になりました。フィルム時代のカメラが9台、デジタルカメラが6台です。コレクターではないのでそんなに多くはないと思っています。
フィルムカメラの経歴
- ライカ A型:35ミリフィルムカメラの元祖。ドイツ製
- ペンタックスSP:露出計内蔵の一眼レフカメラ
- ミノルタ XD :機械式一眼レフカメラの最小花形機
- マミヤプレス 6×9:ブローニーフィルム用カメラ
- ハッセルブラッド 500C:ブローニーフィルム用スウエーデン製カメラ
- オリンパス XA:スライド式レンズバリアー付きコンパクトカメラ
- コンタックス T2:ズイコーレンズ付きコンパクトカメラ
- ポラロイド SX70:電池付きフィルムパック装填式インスタントカメラ
- ミノルタ α5700i:樹脂材による軽量化、電池式全自動一眼レフカメラ
デジタルカメラの経歴
- ソニーサイバーショット 30万画素:ソニーの初代デジカメ
- ソニーサイバーショット 210万画素:二代目
- ソニーサイバーショット 400万画素:電池、メモリーカードも実用的容量となる
- Nikon D200:一眼レフ800万画素
- Nikon P300:コンパクトデジカメ1200万画素 24〜100ミリズームレンズ付き
- Nikon P510:コンパクトデジカメ1600万画素 24〜1000ミリズームレンズ付き
こんなことを思いながらP510を試写していると新しいニュースが飛び込んできました。Nikon D600が9月末に発売されるということです。フルサイズのデジタル一眼レフカメラです。最小、最軽量、高精細で高画質を目指したカメラで、写真の質を問うとこれに勝るものはないかもしれません。人にも伝えているのですが、子供達が貰って喜ぶのはカメラなどのコレクションではなく、預金通帳とそのパスワードなんですと。でも止められませんね。本当に悩ましい限りです。
2012.10.8 – 日高卓三
この記事は旧エキサイトブログ「室内気候」にて人気だったエッセイを再編集したものです。
投稿日と執筆日では年数が離れていることをご了承ください。
編集:北村